日本の社会で若者や女性に求められることの気づき、「私は私」
アデレードYWCAで若い女性のリーダーシップを学んだ藤原聖帆さんが日本の若い女性に伝えたいこととは?
日本の社会と私の葛藤
「私は私、自由に生きる」。
これは、私が最近になって決断できたことです。例えば、「気が利く」ことは、日本社会をスマートに生きる上で必須とされます。社交の場では、「若者」、「年下」、「女性」、という属性によって、大皿料理が運ばれたら率先して全員に取り分ける、お酒のグラスが空いていたら注ぎ足すといった行為が、暗黙のうちに求められます。私は、この料理は各人が自由に取る方が良いのではないか、などと考えてしまうことがあり、瞬時に気を利かせることが苦手です。
「私は私」を貫くか、日本社会で生きる以上は、「気が利く若者」を演じるべきか、そんな葛藤を常々抱えていました。
2016年の一年間、アデレードYWCAで若い女性のリーダーシップを学ぶ機会を得ることができました。オーストラリアでは、気が利くことは個人の能力、強みにすぎず、気が利かなくてもいい、手伝いが必要なら自分から求めます。自分と相手の強みは違って当たり前。
「私は私、あなたはあなた」だから、一つのことができなくても自分も周りも気にしません。そんな国に一年もいれば、私も自分の強みに気がついて、強みを大切にしようと思えるだろう…などと考えていました。しかし日本社会で20年生きてきた影響は大きく、生き方を心の底から変えるのは、そう簡単には行きませんでした。
私とあなたは違うけれどお互いに尊重しよう
日本に帰国し、何だか私の価値観と日本社会にギャップがあるのを感じました。「そんなこと誰が決めたの?」、「誰を、何を気にしているの?」批判的な気持ちになって2週間ほど悶々としていました。そんなある日、「私が私」であることを受け止めている自分に気が付きました。なぜそう感じたのか、いま思えば私の中にあった「若者や女性は気が利くべき」に代表されるステレオタイプな価値観がアデレードで過ごすうちに取り除かれていったのだと思います。そして新たに、アデレードで出会った「私とあなたは違う、けれどお互いに尊重しよう」という価値観が、自分の中に根付いていたのでしょう。帰国して、「私とあなたは違う、けれど似るように努力しよう」という日本の価値観に再会したとき、批判的に問いながら「私は私」であることを確立できたのだと思います。
藤原聖帆(横浜YWCA)