Piece of Peace 〜今も昔もこれからも−平和がいい−〜
今、世の中には新型コロナウイルスの影響で戸惑う人々が多くいます。当たり前の日々を失った状況です。しかし、75年前はもっと大変だったと考えます。
1945年8月6日8時15分、広島にはじめて原子爆弾が落とされ、広島は焼け野原になりました。3日後の、8月9日、11時2分長崎にも落とされ、広島と長崎では多くの犠牲者がでました。そして、8月15日、日本はポツダム宣言を受諾しました。
75年が経ち、広島に帰省していた私は、被爆者の思いをテレビで見ていました。そこで、考えさせられる言葉を言っていました。
「核のない時代を実現できなかったことに後悔」
本気でこの人は私達、次の世代に平和の時代を渡したかったと思いました。ただ、私はこれを聞いた時、この人のせいだと思いませんでしたし、さらに、核のない時代の実現はまだまだ先だと考えており、核のない時代を実現する方法を真剣に考えたことがありませんでした。このとき、私はハッとしました。自分は本気で平和の世界を考えたことがあるかと。広島住んでいて、平和学習をしてきましたが、改めて平和について考えさせられました。
ここで私が考える、戦争がない世界するには?核のない時代を実現するためには?
オバマ大統領が広島訪問での演説でこう言いました。
We can learn.We can change.『我々は学ぶことができる。我々は選択することができる。』 (読売新聞 オバマ大統領の所感 全文 2106年5月28日)
そう、私達は学ぶことができる。歴史を学び、2度と過ちを起こさないようにする選択をすることができます。
だから私達は知っています。戦争がなく、平和で安心できる生活を今も昔もこれからも求めています。それは、核兵器、原子爆弾は恐ろしいものだと教えてもらったからです。
コロナウイルス対策で私達はどうすればいいか考えました。コロナウイルスが収束して、また流行したとき、私達は過去の教訓を活かす。それは、平和の世の中を実現するために、戦争のない世界、核兵器のない世界を実現するためにも、コロナウイルスを対応した私達人類ならばできます。
少なくとも核兵器は人間の科学者が作ったものです。科学は人を幸せにずることが目的のはずが、不幸してしまう道具ならば、核兵器は不要です。
下の写真は、翌日の読売新聞。オバマ大統領関連の記事です。
広島訪問をしてくれた証です。
※注意
テレビの発言は、ニュアンスが違うかもしれません。調べたりしましたがでてきませんでした。広島の夕方のテレビ番組です。どこの局はわからないですが、イマナマ、広島テレビ、5up、TSSプライムニュース。どれかですが、広島テレビが有力かなと思います。
<原爆の恐ろしさをしる方法>
・広島に行き、原爆資料館や原爆ドームに訪問すること
左が原爆ドーム、右が原爆資料館
・東京のNPOサイトですが、「未来につなぐ被爆の記憶プロジェク」を普及させる
URL http://mirai.kiokuisan.com/
・コロナウイルスで外出は厳しいですが、被爆建物「レストハウス」の内部をインターネッ
(読売新聞 被爆者360度疑似見学 2020年9月1日 広島地域)
・NPOと企業が協力していく
<まとめ>
コロナウイルスで当たり前の生活は失われている状況ですが、75年前も当たり前の生活を原子爆弾の投下で多くの、犠牲者、そして放射線で苦しむ被爆者がでました。これは今も続いています。また焼け野原にされました。そして、広島は「草木は生えぬ」と言われました。
しかし、広島は中国地方を代表する都市になりました。平和都市として核のない世界を主張しています。
たしかに、焼け野原のなか生き残った人々は絶望を味わいました。誰も想像していないことが起きました。それでも、人々は復興を信じ、目指していき新しい日本を築き上げました。
コロナウイルスも誰もが想像しないことが起きました。それでも、人々は知恵を出しあい対応している。コロナウイルスの影響で私も大学に行かずオンラインで授業になると思いませんでした。でも、それは被爆者も同じだと思います。
私がここでいいたいのは、想像していないことが起きたとき、人はどうするか。それは、過去の教訓をもとにし、過ちを犯さないようにするために学ぶことが必要だと考えます。
また、これはお寺さんの言葉で聞いた話ですが、「今を大事に」と言われました。来年や再来年と言葉で言うのは簡単ですが、人の命は何が起きるか分からないので、今私ができることをしていきたいです。
<おまけ>
昨年夏休み原爆資料館にいきました。
左がお土産で買ったハンカチ、右がチケット
松田朋也
(福岡YWCAボランティア)
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