ニュースアーカイブス 2012年1-3月
脱原発世界会議2012 in YOKOHAMA 報告(2012年1月25日)
「原子力発電所はいらない。直ちにすべての原子力発電所を止めよう」 2012年1月14日・15日の2日間、約30カ国11500人の人々が、核兵器だけではなくCO2を出さないクリーンエネルギーと推奨されてきた原子力発電に「NO」、安全で安心して生活できる社会を実現するために横浜に集いました。原子力発電所のない未来をつくるために、情報を交換し、ネットワークを広げ、原子力発電所をなくすための知恵を出しあい、一人ひとりがすぐにできる行動を考えあいました。日本YWCAはこの会議に賛同しています。
2011年3月11日に発生した東日本大震災による東京電力福島第1原発のメルトダウン事1故は、未だ収束せず不安定な状況にあります。そのような中で日本政府が12月16日に出した「収束宣言」には、国内外から疑問と不審の声があがっています。原発で働く労働者は過酷な状況下で働いており、放射能は広がり、子どもたちが、多くの人々が被曝し、政府の支援のないまま健康被害に苦脳しています。特に福島の人々は、命の危険と差別という厳しい現実の中で毎日を過ごしています。
ヒロシマ・ナガサキの被爆後にも、米国スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故はもちろんのこと、ウラン採掘場、核実験、放射性廃棄物処理の過程など、世界中でさまざまな放射能被曝に苦しむ人々の経験は隠蔽されてきました。そのような状況下でも実態を発信し地域で地道に運動を続けてきた人々がいます。この会議では、それらの経験や知識に学び、原発事故を検証し、原子力に頼らなくても自然エネルギーにより電力を供給できることを確認し、電力会社と政府による電力供給が独占されているこの仕組みを変えていこう、フクシマの人々、特に子どもたちの命と人権を守るために、疎開を実現させ、放射能汚染されていない食材を届けるなど、すこしでも内部被爆をなくすことをしよう、行動を起こそうと呼びかけられました。会議の最後に「原発のない世界のための横浜宣言」が採択されました。
メインのセッションのほか、ライブパフォーマンス、映像(映画)、フクシマからの発信や交流を求める福島の部屋、子ども向けプログラム、話し合いの部屋、50を越える持込企画など、さまざまなイベントが同時開催され、大人から子どもまで、声をかけ合い、お互いに学び参加する充実したプログラムとなりました。その中で、子どもたちを放射能から守ろうとするお母さんやお父さんたちが、地域で、数人でも自分の思いを話せる小さなグループを作り、行政に根気強く、給食の放射能の値を計ることや、放射能の基準値を下げることなどを行政に根気強く働きかけることの大切さを訴え実行に移している人々の実践は、全国へのネットワークを広げようとしています。
このほか、パネリストとしてヨルダンから参加していた、弁護士でヨルダンYWCA会員のムナ・マハメラーさんとの出会いは、世界に連なるYWCAの強みを生かす大きな希望になりました。人々の声に反して両国政府で協議が進む原発の輸出入について、ヨルダンと日本の市民で協力して食い止めようという強い決意を交わしました。ムナさんのミッションはこの会議への出席のみならず、福島を訪問することにありました。主に福島市と南相馬市を訪問し、津波の爪あとが残る海岸近くの地域と仮設住宅を訪問し、絶望の中で命を絶った方が残した遺書を心に深く受け止めました。この訪問を経てムナさんは、危険な状況が続く中で助け合っている福島の人たちの強い責任感に敬意を表すとともに、高線量地域に住まわざるをえない子どもたちや母親たちの健康を危惧しています。また、日本政府の対応についても、情報開示の遅れがたくさんの人を被曝させたことへの責任、「収束」からほど遠い東電福島原発の状況を軽視した前のめりの原発輸出などは、日本・ヨルダンの市民と子どもたちの命を軽んじていると語りました。また、福島の現状に触れ、市民やNGOの取り組みが光る中、健康の問題や放射線防護の専門家が少ないことへの危惧も指摘されました。現場で働く市民やNGOの健康や労働がリスクに曝されたままだと指摘しています。
日本YWCAはヨルダンとの貴重な繋がりを与えられ、核のない世界の実現に引き続き取り組んでいきます。