27
Aug
2012
高校生平和大使がスイス・ジュネーブの世界YWCA事務所を訪問しました「核軍縮への取り組みを続ける」
27Aug.
高校生平和大使がスイス・ジュネーブの世界YWCA事務所を訪問しました「核軍縮への取り組みを続ける」
2012年8月20日、全国から集まった高校生平和大使がスイス・ジュネーブの世界YWCA事務所を訪問し、ニャラザイ・グンボンズバンダ総幹事らスタッフと面会しました。
高校生平和大使は、1998年の「ナガサキ平和集会」を契機に発足し、毎年国連機関や国際NGOを訪問し、核兵器の廃絶と世界平和の実現を訴えてきました。高校生平和大使の真剣な言動は国連をはじめ訪問先の各国で高い評価を得て大きな成果をあげています。
今年の高校生平和大使には、長崎の活水高校、捜信女学校、広島女学院、ルーテル学院から参加したメンバーや、宮城県、福島県の高校生、ブラジルの高校生も含まれています。
世界YWCAのウェブサイト掲載記事→
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2012年8月20日、日本の高校生、若いブラジル人、2011年の日本の津波経験者、被爆者の子孫を含む「高校生平和大使」が、ジュネーブの世界YWCA事務所を訪問しました。高校生平和大使は過去13年間、国連軍縮部での発言のためジュネーブに毎年訪問する機会に世界YWCAを訪ね、1945年に長崎と広島で起きた悲劇について、また、現在に至るまで続いている原子爆弾の被害について伝えてくれています。
1945年8月9日、アメリカ合衆国によって投下されたたった一つの原子爆弾が松山町上空で爆発し、一瞬のうちに長崎市を破壊した日から、今年は67年目となります。これは、広島に次いで歴史上2度目の原爆投下でした。長崎平和宣言に書かれているように、その時、原爆による激しい熱線は、数多くの犠牲者の体を焼き焦がしました。また、鉄製の線路が曲がるほどの爆風により四肢を引きちぎられた人もいました。裸体から剥がれた皮膚が垂れ下がった人びとや、首のない赤子を背負った母親が町をさまよい、被爆直後は無傷だった人びとが一人また一人と死んでいきました。原爆は、その年だけで7万4千人もの命を奪い、7万5千人を負傷させました。生き残った人びとも、今もなお、高い発がん率、また、放射線によるその他の病気の高い発症率におびえて暮らしています。
世界には、今でも1万9千発以上もの核兵器が存在します。核軍縮のため自国やその政府を教育し、支援を広げることを任務とする高校生平和大使は、核兵器の危険性と、核戦争の脅威をきちんと認識しています。しかし、1968年に核不拡散条約(NPT)が取り決められたことにより、今日まで、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアという5ヵ国の核兵器保有国の存在をもたらしています。2000年には、この5ヵ国の核兵器保有国は、「自らの貯蔵核兵器の完全廃絶を実現することを・・・明確に約束」しましたが、これらの国々は現在も核兵器を保持し続けています。さらに、インド、パキスタン、イスラエルもまた、核兵器を保有している事が知られています。数多くの条約や宣言にもかかわらず、核兵器は存在し続けているのです。
昨年、高校生平和大使は日本で核軍縮を求める署名活動をおこない、新記録となる15万5千筆もの署名を集めました。今週、一行はこの署名を国連に提出し、一人ひとりの経験や思い、そして心に響く誓いを発表しました。国連での発表の数日前に一行が世界YWCAを訪れた際、世界YWCA職員と関係者たちは、彼女・彼らの国連でのプレゼンテーションをいち早く聞くという光栄に浴しました。日本の高校生である佐藤仁彦(きみひこ)さんは、「67年前、広島と長崎に原爆が落とされました。町は破壊され、広島では14万人、長崎では7万人の人が、たった一発の原子爆弾のために命を落としました。今でも、たくさんの人ががんや白血病などで苦しんでいます。核と人類は共存できません」と話しました。
2011年に起きた恐ろしい津波被害は、家族、コミュニティ、あるいは複数の地域そのものを破壊しました。東京電力福島第一原発を襲い、放射能汚染を引き起こしたのです。福島の人びとは現在も放射線の影響に対する恐怖と困難を抱えて暮らしており、本当の被害の実態は時間が経たないと分かりません。津波被災者である高校生の高橋敦浩(のぶひろ)さんは、このように自分の経験を話しました。
「午後3時25分、僕の町を津波が襲いました。一瞬にして、僕は母と妹を失いました。たくさんの友だちも失いました。あれから、幸せは何事もない日常の中にあるのだということを知りました。平和とはとても脆いものですが、その平和が安定していつまでも続くために、人類は努力を続けてきたのです。それなのに、なぜ僕たちは、みんなの平和を完全に壊してしまうものを作ってしまったのでしょう。あの災害で破壊された町々や、原爆によって廃墟にされた町々を見ると、どんなに簡単にすべてのものは失われてしまうかを思い知らされます。僕たちは、戦争や核兵器や自然災害から、平和な生活を守らなければいけません。それが、僕が世界に伝えたいメッセージです」
高校生平和大使は世界YWCAに、力強い平和のメッセージをもたらしました。世界YWCAは、平和と正義を訴える世界的運動として高校生平和大使と連帯します。ニャラザイ・グンボンズバンダ世界YWCA総幹事は、その気持ちを以下のように述べました。
「昨年の長崎への訪問は、私にとって一生残る大切な記憶です。この記憶は、平和と軍縮を訴える私たちの活動へのインスピレーションであり続けるでしょう。被爆者の方々にお会いし、原爆資料館を訪れたことは、深く心を動かされる経験でした。また、長崎市長や、日本のYWCAの姉妹たちに温かく迎えられました。高校生平和大使の国連への毎年の訪問は、原爆による傷を癒し、人類の良心を取り戻し、世界平和を創り出す長期的なプロセスです。世界YWCAもまた、平和と正義の上に立った世界を実現するために取り組む、深い決意を持ち続けます」