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Peace Report 〜建物疎開〜

広島の被曝/被爆証言の中には、『建物疎開』という言葉がよく出てきます。

たとえば、

「自分の住んでいた地域が建物疎開の対象になっていた。」

「弟が建物疎開の仕事をしていた。」

「原爆当日の朝、建物疎開に行かなかったから無事だった。」

学童疎開という言葉はよく聞くけれど、『建物疎開』は聞いたことがなかったため、私は建物をそのままどこかに移設するのか、なんてことを考えていました。

今回は、広島の原爆について勉強する時に避けては通れない建物疎開について、何も知らないところから調べた私が、同じように建物疎開ってなんなんだろうと感じている人に向けて記事を書きます。

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『建物疎開』を簡潔に説明すると、空襲によって火災が周辺に広がるのを防ぐため、あらかじめ建物を取り壊す作業のことです。この際に作られた空き地は、防空空地とも呼ばれていました。

 そもそも建物疎開は、1937年4月に制定された防空法にもとづく手続きの下で行われました。この防空法は、建物疎開が延焼防止を目的としているように、空襲による被害を防ぎ、軽減するための法律でした。

しかし、戦局が悪化していくと、建物疎開は適切な手続きが踏まれることなく、軍や警察の命令によって強制的に行われることもありました。

 建物疎開が行われていた場所は、広島をはじめ、京都、名古屋、東京、長崎などです。しかし、実際の程度を把握するための詳細な資料や記録は、戦後に処分されてしまったりと、あまり見つかっていないそうです。

 広島市における建物疎開は、1944年11月に開始され、市役所や県庁、軍需工場などの重要な施設周辺の建物が取り壊されました。この時は国家総動員法の真っ只中だったため、多くの人が建物疎開に参加していました。

 広島に原爆が落ちた1945年8月6日には、第6次建物疎開が行われていました。今の中学生以上の学生、地域や職場ごとに集まった大人達が、朝から建物を取り壊す作業などを行っていました。当日に実際に動員されていたのは、広島市内の地域国民義勇隊2万2500人、郡部の地域国民義勇隊7062人、動員学徒9111人とも見積もられています。そして、建物疎開の作業にあたっていた人の多くが屋外にいたため、原爆の被害を受け、作業中だった学徒の中では、6000人ほどが犠牲になりました。

 原爆が落ちたあとの広島市内では、建物疎開によって作られた空き地が、多少は避難路の役割を果たしていた面もあるそうです。また、戦後には建物疎開に伴う空き地を考慮しながら、復興計画が練られることもありました。しかし、建物疎開による延焼防止能力をはるかに上回った原爆の威力は、作業中の多くの人に被害を与え、結果として大きな犠牲に繋がりました。

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 今回の記事は、建物疎開が正しかったか否かということを議論するためのものではなく、1945年8月6日頃の広島ではどのようなことが行われていて、原爆の被害と関係しているのかということを考える一つの手助けとなるよう、建物疎開を紹介しました。文中にもあるように、建物疎開に着目した資料は、あまり多くはありません。しかし、多くの被曝/被爆証言の中に『建物疎開』という言葉が出てくることからも、きっと建物疎開の活動は当時の広島の人の日常の中に大きく存在していたのでしょう。

 みなさんがこれからまた、広島について、原爆について、戦争について考え勉強する時に、この記事が少しでもお役に立てればと思います。

平和核ユースボランティア はる

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(参考資料)

朝日新聞,高橋敏之さん『広島の声』https://www.asahi.com/hibakusha/hiroshima/h01-00010-2j.html

石丸紀興,1989年,「建物疎開事業と跡地の戦災復興計画に及ぼした影響に関する研究」,『都市計画論文集』24巻https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/24/0/24_619/_article/-char/ja/

川口朋子,2011年,「戦時下建物疎開の執行目的と経過の変容-京都の疎開事業に関する考察-」,『日本建築学計画系論文集』76巻666号https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/76/666/76_666_1509/_pdf

国際平和拠点ひろしま,「広島の復興シリーズVol.2: 8月6日の広島」https://hiroshimaforpeace.com/reconstruction-2/

総務省,広島市における戦災の状況https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/chugoku_07.html

中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター,2018年8月1日,「建物疎開」https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?insight=20120828145735117_ja

西宮市,2021年9月21日,『戦争体験談「ピカドン」』https://www.nishi.or.jp/bunka/heiwahenotorikumi/sensonokioku/kushuhibaku/taikendan42.html

日本YWCAひろしまを考える旅委員会,『ひろしまを考える旅 2018記録集』

ヒロシマの記憶を継ぐ人インタビュー,2016年6月16日,松本正さんhttps://interview.tsuguten.com/interview_matsumoto/

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