平和活動を担う長崎出身の高校生の声をご紹介します!
7Sep.
平和活動を担う長崎出身の高校生の声をご紹介します!
日本YWCAは、オーガニック&エコロジーがテーマのウェブマガジン「アースガーデン」に毎月記事を掲載しています。
8月(こちら)は、1998年以降、スイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪れ、核兵器の廃絶と平和のメッセージを発信する「高校生平和大使」の活動と彼女たちの思いを取り上げました。残念ながら、同サイト上で紹介しきれなかった高校生の平和活動と、彼女たちの思いをここではご紹介いたします。
私は福岡で生まれ育ったため、今住んでいる長崎の「原爆」について知りませんでした。初めてそれについて知ったのは、小学校6年生の時、長崎に修学旅行に行くための学習会でした。実際に長崎を訪れて、最初の投下予定地は福岡県小倉市(現:北九州市)だったと知り、とても驚きました。福岡のことなのに、全く知らず、原爆投下した8月9日はお休みだったけれど、先生も何でなのか、理由を教えてくれませんでした。
中3の春に縁あって長崎に引越し、今高校2年生になるまでの3年間、たくさん「平和」や「戦争」について考える機会をいただきました。そこで知ったのは、原爆の恐ろしさや、日本の加害と被害の側面、そして「命の大切さ」です。
1945年8月6日と9日、一発の原子爆弾で多くの方の命が一瞬にして奪われたこと、満州事変を起こして中国の方々にしてきたこと、「戦争」という一言で、様々な見方ができることを知りました。
私は今、高校生一万人署名活動のメンバーとして署名活動を行っています。先輩やスタッフの力を借りて、まだまだ未熟ですが日々頑張っており、今年(第16回)は125,314筆もの署名を集めることができました。この125,314人の思いを第19代高校生平和大使に託した時、その重みを感じました。先輩たちは卒業してしまいますが、私たちはもっと平和について学ばなければならないと思います。まだ知らないことが多くあります。
「世界平和とは何か」、このようなタイトルで議論する機会がありました。私は、お互いの価値観を理解して、お互いの歴史・文化・宗教を知った上で話し合うことで、平和は築かれ、そして戦争体験者のお話を若い世代に受け継いでいくことで、その平和が保たれると思います。
私たち若者は、今アクションを起こさなければなりません。私は9月にアメリカの高校生と、国連本部やハーバード大学で平和についての意見交換をしてきます。将来、国連スタッフとして働きたい私にとっては、すごく嬉しいチャンスで、またアメリカの平和教育を肌で感じることのできる機会になると考えています。高校生、また日本の代表として、平和を発信してきたいと思っています。 (高校2年生 K・T)
私は被爆地長崎で生まれ、小学生の頃から被爆体験を聞いて育ちました。そのような環境で育った私にとって、平和について考えるようになったのは自然なことでした。
高校生になってからは、自分自身で平和の大切さや核兵器の恐ろしさを伝えたいと思い、高校の平和学習部へ入りました。平和活動を通じて、私は本当に多くのことを考えるようになりました。長崎や広島のことはもちろん、原子力発電所の問題や、日本の加害責任、自然災害など、いろいろな側面から平和について考え行動し、伝えてきました。
戦後から70年が過ぎ、被爆者や戦争体験者が少なくなってきている今、戦争を体験してきた人たちは私たち若者の活動を「希望の光」だと言ってくださいます。私たちのように若者が平和活動を続けるのは微力だけれど無力ではないはずです。
私は今、高校3年生で、大学への進学を考えています。大学ではさらに平和研究について深く学んで行くために、関東の大学への進学を志望しています。私は他県の大学で、多くの人たちに平和について考えて欲しいと思うので、しっかり長崎の原爆のことも学び、伝えていきたいとおもいます。 (高校3年生 K・S)